「時間は存在しない(その②)」 前回の「時間は存在しない」の読書感想文の続きです😅 いやー、しかしこの本の「人は宇宙の全てを認識出来ないから時間を認識する」という趣旨の理論が、目からうろこで、「そうか、そんな見方もあるんだ」と、驚くやら、感心するやら・・で腑に落ち、納得するものが大きかったんです。そのことを少し掘り下げて書いてみたいと思います。 まず、この動画をご覧ください。 これは、リアルな太陽系の動きを3Dにした映像です。地球は太陽の周りを自転しながら回っています。太陽もまた物凄いスピードで動いています。しかし、地球上の私たちの感覚としては、地面が止まっていて太陽が東から西へ動き沈んで行きます。私たちがこの太陽系の動きを全て感じていたら、目が回ってしまい大変です。また、転じてミクロの世界を見てみると、私たちの体は炭素で出来ていて、分子の集合体です。分子は原子と電子で出来ていて原子の周りを電子が回っています。でも、そのミクロのサイズの動きは自分の体であっても感じることは出来ません。 私たちが得ている感覚の情報は、ミクロからマクロの宇宙全体の動きや関係性をほんの極々一部でしかないのが事実です。宇宙は11次元(理論上)で、出来ていますが、私たちは3次元の世界しか認識出来ません。時間は過去→現在→未来の一方方向にしか流れません。しかし、11次元の情報量に比べたら、3次元の情報量は比較にならない程小さいものであることは想像出来ます。 著者は、その情報量の少なさが、時間を一方方向の3次元の時間を作っている、と言うのです。「時間は存在しない」というタイトルがちょっと飛躍した訳で原題は「時間の順序」というような意味のようです。「時間の順序」をもっと説明すると、「時間には順序がない」「方向性などない」「現在」というものも無い、という表現になります。時間の一方通行のような流れの秩序など無いのですから「現在」すら存在しないのです。 厳密に表現すると、この3次元の世界でも、観測者の「私」から少しでも離れればそれは「現在(今)」ではありません。わかり易くたとえるなら、夜空にまたたく星の光を今見ているとしても、遠く離れた星の光は過去の光です。「3万光年」などという距離の表現がありますが、光の速さで3万年かかる距離、つまりその光は3万年前のもの、言い換えれば「過去」を見ているわけですね。