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『音楽を聞き分けるポンちゃん』(雑感日記)

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  ポンちゃんというのは、我が家の2才の文鳥(女の子)です😀文鳥のオスは歌を唄ってメスの気を引き、上手に歌えるオスがもてるようです。そんなわけで、ポンちゃんも歌が大好きです。 テレビなどから歌が流れるとテンションが上がりチュンチュンと鳴きます。それがどんな歌でも反応するかというと、そうではありません。ちゃんと聞き分けているようです。単純なエイトビートとかノリの良いメジャーな(長調)曲が好きなようです。 今夜の歌番組の中では「ドレミソラシド」(日向坂46)が一番反応してました😅飼い主の欲目ではなくて、ホントに楽曲により反応が違うんです。エライもんです。私がウクレレ弾く時もチュンチュンとなんとなく嬉しそうにしてます。好みの音とか音階とかあるようです。 考えてみたら、人の場合言葉が通じない外国の歌でも良い曲は世界的にヒットするし、言葉を超えて感覚は共通です。たとえばギターのマイナーな和音「B7」を引くと、言葉がわからない外国人、アマゾンの奥地の原始的な生活をしている人でも「悲しそうな音」と感じるでしょうし、メジャーな和音「C」を引くと、世界共通で「楽しそうな音」と感じることでしょう。 「なぜ?」・・・不思議ですねぇ。 言葉を超越した人間の共通した感覚があります。ポンちゃんが音楽を聞き分けても不思議ではありません。クラシック音楽を乳牛に聞かせるとお乳の出が良くなるらしいです。音楽の感覚は生物の種をも超越しているのでしょうか・・ね。 そこんとこが・・・不思議だなぁ・・。

『のら的最近のお気に入りYouTubeベスト5』(雑感日記)

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YouTubeは毎日ほとんど観てます。 ネットサーフィンならぬ、ユーチューブサーフィンで、気がつくと1時間2時間・・なんてよくあることです。「フォークソング」で検索して観始めて、最後は「サンタナ」だったり😀 のら的チョイス・・共感して頂けるかはわかりませんが 楽しく観て頂けたら幸いです。 №1 「みうらじゅん賞」 「マイブーム」「ゆるキャラ」などの言葉はみうらじゅん氏が作った造語です。若い時から独特なセンスですが、中学生の時にすでに仏像マニアだった、というのは流石です。 みうらじゅん、音楽好きの人は、イカ天の「カリフォルニアの青いバカ」と言えば、ピンと来る方も多いかと👍 №2 「発動機再生動画」 最近、古くてボロボロの機械を再生さる動画にハマっていて、長時間観ていても飽きずにずーっと観てます。特にこの発動機の再生は見事で感動的です。実家にも同じような発動機があって懐かしさもありますが、昔の発動機(エンジン)は基板とか弱電部分が無い分、電気配線もシンプルで丈夫なので、物理的に部品を丁寧に再生させれば、動くんですね。 №3 「木工フェラーリF1」 木工に興味があり「やってみたいなぁ」と思わせる動画です。加工用のいろんな道具が出て来るのでそれを見てるだけでも楽しくなります♪ №4 「大判焼き動画」 このような「たこ焼き」とか「お好み焼き」とかを焼く様子を撮影した動画も好きで、ずーっと観てられますね。しかしこの大判焼き、あんこがたっぷりで美味しそうです💓 №5 「 角田裕毅、来季F1参戦決定!!」 7年ぶりの日本人レーサーのF1参戦ですが、童顔の20歳ですが、キレキレの走りです! かつて中嶋悟がやっとF1にたどり着いた時34歳だったのを思うと、夢のような快挙です。 そして角田は日本だけではなくて、世界的に評価され、ホンダとレッドブルにバックアップを受けてはいますが、実力で、最短でF4,F3,F2とカテゴリーをステップアップして来ました。期待せずにはいられませんねぇ♪ ハイ!のら的ベスト5でしたがいかがでしょうか?     年末、年始、皆さんも楽しい YouTube動画を見つけて、愉しんで下さい😀

2020師走、今日この頃(雑感日記)

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近況というか、最近思うことなど徒然なるままに・・ 「平凡な日常というありがたさ」 午前中少し仕事をしてそれから探鳥散歩に出かけました。歩いていて突然ファンファーレが聞こえたので見上げると、ヨーロッパから移築したチャペルの庭で(結婚式場)新郎新婦が祝福されていました。 コロナ渦で、人が集うことの少ない今日この頃、このような風景を見るとほっとして、ほんわかした気分になりますね😀思えば、コロナに始まりコロナで終わる・・というような特異な一年です。 人が集まり、にぎやかに楽しく過ごすことが出来ず、「三密」を防ぐということは、人と人の関わりが制限され、私生活から仕事面まで社会に地球規模で多大な影響を受けました。 たとえ感染しなかったとしても、大きな制限を受け、今まで出来ていたことが出来なくなるというのは不自由さを感じます。病気になり、健康のありがたさを痛感することと同じように「平凡な日常」のありがたさを再認識する次第です。 ワクチンも出来つつあるようです。来年には終息して早く平凡な日常が戻るようになることを願うばかりです。 「食パンブーム」 職場の近くに、美味しい食パン屋さんが2軒あるのですが、つい最近またその食パン屋さん激戦区に、一つお店がオープンしたのでお試しで一斤買ってみました(¥440) 去年あたりから静かな食パンブームのようです。我が家でも元々自分でパンを焼いたりするぐらいですからパンが好きで、美味しいパン屋さんを見つけたりするのが趣味のようになってます。写真のパン(新しく出来たお店)は、クリーミーで甘みの強いパンでした。 普通の食パンより、少しお高いのだけど、ちょっと贅沢なこだわりの食パン、といったような感じが「食パンブーム」の本流でしょう。ちなみに我が家で買ってるものは、日本産小麦を使った、しっとりとしてずっしりとしたモチモチした食パンです。 日本人はパンが大好きですが、この日本人のパン好きは戦後GHQが作り出したものと言ってもいいでしょう。「アンパン」等はありましたが、日常的にご飯を食べるようにパンを食べるという文化は無かったのですが、アメリカの小麦を消費するマーケットとして、一億人(日本)はターゲットになり、GHQの指導で学校給食に採用されたりしながら日本の中でパン文化が形成されて行った、ということです。 「アンパン」の思い出 小学1年生・・九州の山の中の

『時間は存在しない(その②)』(雑感日記)

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 「時間は存在しない(その②)」 前回の「時間は存在しない」の読書感想文の続きです😅 いやー、しかしこの本の「人は宇宙の全てを認識出来ないから時間を認識する」という趣旨の理論が、目からうろこで、「そうか、そんな見方もあるんだ」と、驚くやら、感心するやら・・で腑に落ち、納得するものが大きかったんです。そのことを少し掘り下げて書いてみたいと思います。 まず、この動画をご覧ください。 これは、リアルな太陽系の動きを3Dにした映像です。地球は太陽の周りを自転しながら回っています。太陽もまた物凄いスピードで動いています。しかし、地球上の私たちの感覚としては、地面が止まっていて太陽が東から西へ動き沈んで行きます。私たちがこの太陽系の動きを全て感じていたら、目が回ってしまい大変です。また、転じてミクロの世界を見てみると、私たちの体は炭素で出来ていて、分子の集合体です。分子は原子と電子で出来ていて原子の周りを電子が回っています。でも、そのミクロのサイズの動きは自分の体であっても感じることは出来ません。 私たちが得ている感覚の情報は、ミクロからマクロの宇宙全体の動きや関係性をほんの極々一部でしかないのが事実です。宇宙は11次元(理論上)で、出来ていますが、私たちは3次元の世界しか認識出来ません。時間は過去→現在→未来の一方方向にしか流れません。しかし、11次元の情報量に比べたら、3次元の情報量は比較にならない程小さいものであることは想像出来ます。 著者は、その情報量の少なさが、時間を一方方向の3次元の時間を作っている、と言うのです。「時間は存在しない」というタイトルがちょっと飛躍した訳で原題は「時間の順序」というような意味のようです。「時間の順序」をもっと説明すると、「時間には順序がない」「方向性などない」「現在」というものも無い、という表現になります。時間の一方通行のような流れの秩序など無いのですから「現在」すら存在しないのです。 厳密に表現すると、この3次元の世界でも、観測者の「私」から少しでも離れればそれは「現在(今)」ではありません。わかり易くたとえるなら、夜空にまたたく星の光を今見ているとしても、遠く離れた星の光は過去の光です。「3万光年」などという距離の表現がありますが、光の速さで3万年かかる距離、つまりその光は3万年前のもの、言い換えれば「過去」を見ているわけですね。

『時間は存在しない』雑感日記

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 「時間は存在しない」 カルロ・ロヴェッリ 良い本だったのでレポートします。 科学系のYouTubeとかネットで評判が良くて、見ているうち興味を持ち、読んでみたいと思いました。何より「時間は存在しない」というタイトルが刺激的ですよね。 本屋さんに行ったら、難しそうな本ばかりの専門書のコーナーにありました。「どうせ読んでも理解出来ないかも・・」とビビりました。 購入して読み始めると、なんと!物理の数式がほとんど出て来ないですし、おそらく表面を撫でるぐらいしか本質は理解出来てないのかもしれませんが、納得しながら、わかった気になり、最後まで楽しく読めて、すっごく勉強になりました! この本の内容と感想などを思いつくまま書いてみます。 まず、「時間」の概念はニュートンまでは、宇宙で絶対的なもので物理の根本的な存在だったのが、アインシュタインが時間は重力や動き等で変化するものだと主張しました「相対性理論」ですね。更に近年の量子論では、更に更に時間の存在が不確かな物になって来たのです。と、いうのも量子の超ミクロの世界では、物質の有無が確立でしか表せないような曖昧な世界だからです。しかも、人が観測することで結果が確定する、という摩訶不思議な世界、もっと言えば、人が観測するまで「有」でも「無」でもない世界だったりします。 もひとつ言えば、量子の世界の本質は、物質ではなくて「有」と「無」が混在するような、とんでもない世界。著者は「出来事」が存在する、と表現しています。「状態」というような意味だと思いますが・・。 この本の著者は、理論物理学者で「量子重力理論」の研究者です。ですから、「物質」と切っても切れない関係にある「時間」の正体もまた、この「出来事」であり実在するものではないのではないのではないか、と提唱しています。(証明はまだされていない) ◎時間というものが存在しないのに、ではなぜ人は「時間」を認識するのか? それは、人が宇宙の物理的な情報を極々一部しか認識出来ない、故に、時間を認識するのだ、と言います。つまり、「時間」というのは「宇宙の全ての摂理を認識出来ない、人が作り出したもの」という結論です。驚きますよね、この理論。 ◎人は時間を過去、現在、未来と一方方向にしか認識出来ないのはどうして? 答えの鍵は「熱」にあります。自然界では、熱は高→低の一方方向にしか変化しません。エント

『誕生日』

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誕生日 (雑感日記) 今日は誕生日です。特に特別な感慨もないですが、元気で毎日機嫌よく過ごせていることに感謝したいと思います。 63回目の誕生日のこの日、思うままに今日のことを書いてみます。 ◎早朝からお仕事 朝4時過ぎに起きて午前中は仕事でした。一応現役(設備管理)なので こんなこともあります。若い頃は朝起きるの苦手で苦労しましたが、 年のせいか早起きは苦にならなくなりましたね。 私の周りには70過ぎても 現役でバリバリ働いている人がけっこういます。 奥方に「ずーっと働いてポックリ逝ってね」言われてるんで、ご希望に沿いたいと 思ってますし、そうありたいと思います。😅 ◎都知事選 昨日、期日前投票に行って来ました。退屈な都知事選で気乗りしませんでしたが 選挙は必ず行きます。選挙に行かないと、政治を語る資格も無いし、まして批判する権利も無いと思ってます。 小池さん圧勝です。まぁ良くも悪くも小池さんは上手いね。 ◎九州、熊本の水害 このところ毎年のように記録的な豪雨で日本の何処かが甚大な被害を受けています。 気候変動、温暖化、原因はどうであれ、天災ばかりはいくら辛い現実でも、受け入れる 以外にありません。人がいくら進化しても自然を征服出来ません。 ◎無観客試合 プロ野球やJリーグ、そして今、リアルタイムでF1が無観客で始まりました。 野球もサッカーも客が居ない分、打球音や選手の声が良く聞こえ、普段味わえない 臨場感があって、これはこれでレアで良いと思います。 F12位走行のレッドブルのフェルスタッペンがリタイア・・(ガックシ) ギアボックストラブル?エンジンだと心配・・。 HONDAも今年が正念場で年間チャンピオン取りたいシーズンです。 ◎10万円給付金 申し込みして1か月経過しても振り込まれてないので、日野市に問い合わせてみました。 散々待たされて、「すみません、もう一度お名前を」と問われまた待たされ 「すみません、調べて折り返しお電話します」ということで、待ってたら、5分ぐらいして 「受け付けているのは確認しました」というので「で、いつ振り込まれるんですか?」と 聞いたら「・・わかりません:」だって・・呆れました。 電話の対応

『BONSAI』(盆栽)は世界のアート

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『BONSAI』(盆栽)は世界のアート・・・雑感日記 盆栽は今や世界的に認知されたアートです。世界中に愛好家がいます。ではあらためて「盆栽」とはなんぞや?と問われると・・簡単に説明するのが難しい気がします。 それで調べてみると簡単に「盆栽」を説明するには読んで字の如しで、「盆」→鉢(器)と「栽」→植物を組み合わせて愉しむもので、自然の風景を小さな鉢で表現している、という説明で良いようです。 『 JAPAN BONSAI 』という、世界、に発信している盆栽サイトでわかりやすく説明しています。 私は盆栽の中でも「小品盆栽」と呼ばれる、小さい鉢の盆栽が好きです。 絵は、JR高尾駅の建物のショーウインドウに飾ってあった小品盆栽が、中々様子が良いもので思わずパチリと撮った写真を元に、描いたものです。枝ぶりや器や飾る配置までセンスが感じられる、というかレベルが高いというか・・素晴らしいと思います。 小品盆栽が好きなので、時々買ったりするのですが、管理が大変難しくて何度も枯らしてしまったりしています。器が小さく根が張る土の部分が少ないので、マメに水やりをしないとすぐ枯らしてしまいます。また器が小さい分、暑さ寒さにも影響され易いので、管理が大変です。 日本では「盆栽」というと年配者の趣味というイメージが強いですが、海外では若い愛好家も多いようです。日本で生まれた「盆栽」が「BONSAI」として多様なイメージで世界が広がって行くのは良いことですね。  

久しぶりに漫画を買いました・・・雑感日記

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久しぶりに漫画を買いました 先日、テレビで、ちばてつやのドキュメント番組を見てまだ漫画を描いているということを知り、 読んでみたいと 思いました。最近はすっかり漫画を読むことがなくり、また、読みたいと思う漫画もないので、たまにブックオフで、『ゴルゴ13』 とか、白土三平の昔の漫画とか 古い漫画を読むぐらい です。 帰宅するとネットで注文した漫画が届いていました。 『 ひねもすのたり日記 』という、ちばてつやがカラー4ページで連載している漫画の単行本です。作者の自伝的な漫画ですが、一気に読んでしまいました。 理屈抜きに絵柄が好みに合うし、ちばてつやの漫画に漂う独特なペーソス、ユーモア、 読み終わった後はほんわかした心地よさがあり「 マンガって良いな・・ 」と久々に感じました。  

終活は程々に・・・雑感日記

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終活は程々に 『終活』 という言葉が普通に使われるようになった今日この頃ですが、私自身も 還暦 を迎えた頃からなんとなく意識するようになりました。でもこの「終活」、意識すればする程、あんまり 楽しい気分にはなりません。 「 お墓どうしよう 」とか「 老後の資金 」とか・・。 それで、元々いい加減な性格なのもありますが、最近は「 終活なんかどうでもいいや 」と思ってます。そう思うようになって「終活」について考えてみると、「終活、終活ってメディアに踊らされてるんじゃないの?」とも感じるようになりました。 戦後ベビーブーム世代(団塊の世代)が高齢化が進み、「終活」の需要は高まり「終活プランナー」などという職業まで発生して、「 終活ブーム 」のようになってるのが現状です。「終活」は お金になるんです 、だから「終活」意欲をあおる広告やその手の情報があふれています。 人生を マラソン にたとえたりすることがありますが、マラソンはゴールの瞬間1位になるのを目指して走ります。 ゴールの順位に一番価値がある ので、それを目標にレースのペース配分を考えて走ります。さて、人生はどうでしょう、ゴールに一番価値があるのでしょうか?ちょっと違うと思います。 人生をどう生きたか、に価値がある と思います。それにマラソンはゴールの場所が42.195キロメートル先の場所と決まってますが、人生は決まってません。ゴールがあるのはわかってますが、はっきりわかりません。 だったら、よくわからないゴールのことばかり考えてないで、人生という道を走っている 「今」をとりあえず愉しんだ方が良い のでは・・・なんて最近思ってます。 あんまり先のことばかり考えると、人は「取り越し苦労」とか「 心配のタネ 」を探すようになります。人の不安要素のほとんどが、先のことに対する「 取り越し苦労 」だそうです。 終活は程々で良いと思います 。シニア世代はそう思って毎日過ごした方が、快適な日々が過ごせるような気がします。 味わい深い黄昏時です。  

屋根裏のちばてつや

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昨日、ネットで漫画家の ジョージ 秋山が逝った、というニュースを見て、仕事中にぼんやりと今までの作品のことなど思い出して感傷に浸っていました。「 銭ゲバ 」など過激な作品から、44年連載されドラマ化された幕末を舞台にした庶民の人情を描く「 浮浪雲 」など、個人的には美保純主演で映画化された「 ピンクのカーテン 」や知らない人も多いかもしれませんが「 デロリンマン 」も好きな漫画でした。若い頃はテレビにも時々出ていて, いつもサングラスをかけて語り口は柔らかいけど、独特なムードを持つ人でした。IQの高い人だったようです。 それから、帰宅して偶然テレビで、 ちばてつや のNHKのドキュメントを観ました。ブログの今日のタイトル「 屋根裏のちばてつや 」。80歳を過ぎた、ちばてつやの日常をナレーション無しで編集していて、説明が無い分、こちらが考えさせられる良質なドキュメンタリーでした。NHKは最近どうしようもない番組があるけど、たまに良い番組がありますね。 ちばてつやの代表作「あしたのジョー」の 有名なラストシーンのコマです。 色鉛筆で模写ししてみました。 ジョージ秋山の訃報を知ったばかりだったので、「 ちばてつやは元気なんかなぁ 」と見始めましたが・・驚きました。びっくりするぐらい 元気 でした。現在もテニスをやったり草野球をやったり、老犬の散歩をしながら、 漫画家としても現役 でした。 売れっ子漫画家は過酷な生活が続くからか短命だったりしますが、ちばてつやの場合、高齢で元気なのは肉体的な健康面もありますが「 生き方 」、 マインドの部分でシニアの世代の理想的な考え方をしてるいると感じました。 「私は若い頃から、 今日一日を精いっぱい生きれたらそれで良い 、という生き方をして来た」と自らを語っていました。「今日の締め切りが、後2ページ・・この2ページを描き終えるために 今日めいっぱい頑張る 、後はどうなっても良い」そんな感じで、超多忙な時も乗り越えて来たそうです。 つまり、「 一日一生 」の精神ですね。明日のことなど必要以上に考えない。「 今日 」を「 今 」を 全力で生きる 。この生き方に徹することが出来れば、メンタルはすごくシンプルです。迷いも無いでしょう。不安も無いでしょう。結果的に ストレスを抱えない生活 になります。これ

サッカーはなぜ面白いのか?

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サッカー好きですか?好きな人は多いと思います。 面白いですよね、では 何であんなに面白いんでしょう? ・・・。そう唐突に問われると答えに困ると思いますが、「 手を使わないからです 」これが 答え です。手を使えないというルールの中でドリブル突破、組織的な守り、芸術的なフリーキックなどの美しいシーンが生まれ人々を魅了します。 メッシがドリブルしてる写真を描いたのですが 似てないし、体のバランスが難しい・・ 「手を使えない」という 制限 があるからこそ、サッカーの楽しさは生まれます 。制限、つまり ルールという縛りこそがスポーツを面白くしている わけです。格闘技など厳格なルールが無かったら只のケンカで命さえ危ぶまれます。スポーツの根幹にはルールという大前提があります。 また、 文学の世界でも制限が文学の表現を面白くする ことがあります。日本の文化として世界的に認知されている「 俳句 」がそれです。5・7・5、という短い語句に心情を込め凝縮し表現し 芸術の域にまで付加価値 を付けます。 アートの世界は自由です。自由だからこそアート、とも言えるのですが、この自由なアートの世界でも「制限」が全くなかったら、表現することに戸惑います。 キャンバスという 枠の制限 の中で表現を追求したり、 造形・映像といった、表現方法の制限があります。 芸術家の頭の中は全くの自由であって良いのですが、それを表現するとなると制限がかかります。 社会に目を向けると、自由な資本主義社会と言っても、 社会生活に無数の制限がある からこそ社会が円滑に回っている、という事実があります。交通規則・就業規則・法律など「制限」を上げたらきりがないぐらいです。 で、私が何が言いたいか、と申しますと「 制限も悪くないね 」という、只、それだけのことです。「制限」も考え方次第で楽しくもなります。 一気に話の規模が小さくなりますが、このブログを始める時にルールを作りました、「野鳥写真」と「色鉛筆画」と「雑感日記」のブログにしよう、と自分で「制限」しルールを決めました。そんなことをして 面白がっている62歳 の今日この頃です。